海外選手栄養サポート
幼稚園勤務から日本代表選手の専属栄養士に!
保育園で栄養士として3年間勤務し、独立してフリーランスとして活動している緒方 あゆ(おがた あゆ)さん。
独立までの過程と現在のお話を伺ったところ、フリーランスとして働き始めてから働き方やワークライフバランスが大きく変わったと語ってくれました。
具体的にどのような変化があったのか。インタビューで詳しく伺っています。
現在とこれまでの働き方
自己紹介をお願いします。
緒方あゆと申します。
保育園で3年間栄養士として勤務し、現在はフリーランスとして活動しています。
現在はどのようなお仕事をされていますか?
今は海外でプレーする選手に、現地で栄養サポートを行っています。
仕事内容としては、調理提供、献立作成、栄養価計算、選手トレーナーとの連携してコンディション対策、体重管理、サプリメント管理、食事記録表作成、合宿遠征の場合はレトルトのお米やタンパク質など携帯する準備、遠方での連絡、買い出しなどを行っています。
働く時間は日にもよりますが、選手には毎日3食提供しているのもあり、7時から20時半ごろまでになることが多いです。
さらにこの仕事とは別に、プロ野球選手への栄養指導なども遠隔で行うなど、日本のアスリートを対象にした仕事もしています。選手へ栄養指導するだけではなく、ご結婚されている場合は奥様に資料を提供するなど、さまざまな方法を取っています。他にはお弁当会社の献立作成もさせていただいてますね。
前職はどういったお仕事をされていましたか?
保育園で給食提供、献立作成、発注、栄養価計算、アレルギー対応、離乳食、食育など、栄養士業務全般を経験しました。
100人分を2人体制で調理していたので大量調理の技術が磨かれましたし、献立の種類をたくさん会得することにも繋がりました。
栄養士は調理師の方がいたら調理をしない場合もあるので、そうではない「食を大切にしている」保育園を探し就職しました。
大変ではありましたが残業等はなく、オンオフがあり楽しく働けました。子供たちもかわいくて働きがいはありましたし、周りの方の話を聞いていても良い環境だとは思っていました。
短大を卒業後3年間勤務し、仕事をしながら管理栄養士の受験資格を取得して退職しました。
その後フリーランスになってからは、プロ野球選手の寮や社会人サッカーの作り置き、お弁当屋さんのスポーツ栄養担当(献立、コラム、たまに調理)の3つが1年間のメインでした。2年目に社会人サッカーやJリーガーのサポートをさせていただき、3年目に海外に渡ることになりました。
学生時代
学生時代に学んでいたことを教えてください。
学校では栄養士になるための勉強をしつつ、それとは別に自分で調べた外部セミナーにも足を運んでいましたね。さらに母校の陸上部に栄養や食事に関する資料提供をするなどして、外部との関係を作ることも心掛けていました。
ただ、学生時代はあくまで学業メイン。2年間だったのであっという間に終わってしまいましたね(笑)
独立後の変化
独立してどう変わりましたか?
「やりたいことをやる」という精神になりましたね。「考えるよりも先に動く」ようになりました。
「もう少し勉強してから、準備が整ってからやろう」というわけではなくまずはやっちゃおう!という意識になりました。
結局は机上の学習だけではなく、現場に入ったほうが一番成長できると感じています。
またフリーランスは会社員のように拘束時間がないので、自分で時間配分をするよう心がけるようにもなりました。ダラダラしてしまうといつまでもオフになっちゃうので、オンオフの管理はかなり意識しています。
独立してよかったことは?
「やりたいことができている」という充実度が高くなりました!
保育園時代の研修は、スポーツ栄養には関係なかったので、これがスポーツ栄養だったらもっと前向きに勉強できるのにな~と思いながら受けていました(笑)
今回の海外案件は、会社を辞めるなどのハードルが無かった分「動きたいと思った時に動けた」というところが、フリーになっておいてよかったところだと強く感じています。
独立の経緯
どういう経緯で独立していったんですか?
保育園は3年間で辞めると決めていました。
実は「仕事を辞めて1年間は最悪仕事がなくても、管理栄養士の勉強をして受かればいいな」と管理栄養士の資格取得を第一優先にしていたんです。
辞める時に完璧にフリーランスになる準備をしていた、というわけではなかったですね。
しかしありがたいことに、1年目からたくさんお仕事をいただけました。
以前から周りの方には、このタイミングで保育園を辞めるという話をしていました。「空いているならお願いしよう」や「自分の仕事を紹介して引き継いでもらおう」と、同業者の方も含めいろんな人にたくさんお仕事を紹介していただけたのはありがたかったです。
フリーランスでお仕事をする上で印象に残っていることはありますか?
自分が秀でている部分を、どのようにして周りに知ってもらうかというハードルを感じたことです。
世の中を見渡すと「スポーツ栄養」自体は広まってきていたので、先輩や他の人との差別化をどう図るかを考えました。私の場合は「選手に料理を提供する調理をやりたい」と言い続けていましたね。
近いコミュニティの中で「調理といえば緒方だ」と印象づけるようなところを、ある意味意図的にやっていました(笑)
運営しているAscenders株式会社について
Ascendersとの関わりは?
社会人2年目からセミナーや活動に参加していました。
専門知識を得られただけではなく、スポーツ栄養士としてすでに働いている先輩もいたので「その世界で食べていけるんだ」と、働くイメージを持つこともできましたね。
「やりたい」ではなく「やるんだ」と意識が変わり、一気に自分はこの世界でやっていこうという現実感が生まれました。
年上の先輩だけではなく、自分より先に学んでいた年下の人や、自分より知識があったり目標に向けて頑張ったりしている人がいたので、いい意味での焦りや刺激がありました。スポーツ栄養を目指している人と他で出会うことがなかったので、周りの環境がガラッと変わりましたね。学校ではスポーツ栄養について学ぶこともほとんどないので、一からここで学ぶことができた感じです。
最後に独立を目指す人へのメッセージ
最後に独立を目指す人へのメッセージをください!
迷っている間に同世代や年下の人が勉強したり現場で経験を積んだりしているので、やろうか迷っているくらいであればすぐにでも取り組むことをおすすめします!
やってやめることはできると思います。
「やってもうまくいかない」とか「スポーツ栄養で食べていけない」ということは決してないと思います。できるまでやるかどうか、自分次第だと思います。やり続けていればできるようになるし、仕事に結びつくと思います。
やる前にいけるという確証をもてないとやらない人が多いですが、そんなことはわからないので、考える前に行動したほうがいいと思っています。
保証はないという部分はどこの世界でも一緒なので、どうせやるならやりたいことやって、それで失敗したほうがいい。と私は強く思います。
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運営会社の
Ascenders株式会社について
スポーツに関わる、すべての人へ。
スポーツのインフラになるというミッションの実現には、Ascendersだけでなくスポーツに関わるすべての人たちの活動を後押しすることが必要です。
私たちはスポーツで働く人たちをエンパワメントしていく存在でありたいという想いから、サービスを作り続けています。